今日も、このように賑々しく教祖・生神金光大神様の御大祭をお仕えできました。
さて、教会の北側の初代教会長記念館の一階に本部の出先機関である名古屋センターがあります。そのセンターの十月の予定表に、「歴史学びの会」とありました。はて、教内にそんな自主団体があったかなあ、どんな会なんだろうと思っていましたら、一般の歴史好きの方々が宗教にも興味を持たれ、金光教について学びたいという申し出があったそうでお受けしたとのこと。センターはオープンなので、それは結構なことです。
疑心暗鬼
実は、ちょうどその少し前に、玄関の外のある物が盗まれました。「よし子」と呼んで家族で大事にしていた御影石製の犬の置物です。教祖様は、「盗難に遭った時は、大難を小難に逃れさせてくださったと神にお礼を言い、また、盗人が本心に立ち返り正業に就くようにと、神に願ってあげよ」と教えておられますが、私はとても教祖様のような気持ちになれない。でも、憎しみからは何も生まれないし、きっと、わが家に何か禍があったのを「よし子」が家族の身代わりになってくれたのだと思おうとしました。
ちょうどそんなことがあった後に、「歴史学びの会」の方々が、センターで学んだ後、幅下教会の礼拝施設も見学するかもしれないと聞き、不審な団体でなければいいなという気持ちがフッと湧いてしまいました。
教祖様は、誰でもいつでもお参りできるように、お広前の入り口に板を打ち付けて「戸立てず」になさり、夜でもオープンにされました。いろんな人が来たことでしょうし、今と違って月明かりがなければ漆黒の暗闇ですから、悪霊や魑魅魍魎もウエルカムでした。昨今の世情では、とても教祖様のようには出来ないなあと思いました。
歴史学びの会
所長先生とおいでになった「歴史学びの会」の方々は、男女十一人。年配から若い方もおられて、とても真面目な方々でした。先にセンターでおおよそ金光教について学ばれたので、私には個別なことをおたずねになられます。
「この教会はいつ出来たのか?」と聞かれ、「初代が百三十五年前に入信して教会設立は百二十四年前です」と答えると、「おー」と驚かれました。神殿と霊殿が分かれている理由とか、霊殿には千六百余柱のみたま様がお祀りされていることにも驚いておられました。「よく、こういうお仕事をしようと決断されましたね。悩まれませんでしたか?」とか熱心に質問されました。
そして、「この施設や土地は、初代が私財を投げ打ってできたのですか?」とお聞きになるので、「いえいえ、そんな財産はなくて、借家から始まったのです。助かった人のお礼のお供えや助かりたい人たちの真心のお供えだけでできたのです。ほかに何のからくりもありません」とお答えしました。
一般的な宗教教団は、本部が計画的に支部を作りますが、本教はそうではありません。それぞれの教会は経済的に自立しています。それに、お供えをした人や会社の名前が書かれた鳥居や石柱もありません。「学びの会」の人たちは、そんな「何のからくりもない」あり方を大変に驚かれたようでした。
奇跡のように
振り返ると、幅下教会はこれまでもずっとそのようにおかげを蒙ってきたのです。土地も、この会堂のリフォームも、奥城も記念館も桜のお広前の復興も、みな神様がご用意くださいました。
もちろんご信者さんたちの努力もありますが、それでご信者さんが苦しんだとか、お金に困ったとか、家が没落したとか、家族間に争いが起こったとか、子供が苦労したという話はありません。その反対におかげを頂いて皆さん幸せになさっておられる。そういう信心を教祖様が開いて下さった。壺を買わされて困り果て、あげくのはてに犯罪に走る人ができるなんていう団体とは違うのです。
だから、多くの方に幅下の信心をしてほしいのです。若い方も、お父さんお母さんが信心して、生活が立ち行くおかげを蒙り、幸せになっていかれた。そんな間違いの無い信心の道を同じように歩いてほしいのです。
信心はなくてはならないもの
けれども、この時代の生活は、大きな不安の中にあります。例えば物価。生きていくだけで大変。信心する余裕なんてないよという人もいることでしょう。
でもね、違います。ちょっと思い出して下さい。コロナ以来、「不要不急の外出は控えて」という言葉が使われ出しました。「どうしても必要というわけでなく、急いでする必要も無いこと」が「不要不急」です。では、「不要不急」の反対は?といえば、「必要緊急」、「必要至急」というそうです。
教会参拝は、「必要」です。信心は、生きる上でどうしても必要なもの、人任せにできないものです。だから、不要不急ではありません。では、「不急なのか至急なのか?」
信心は、急いでするものではありませんが、今月今日、今このとき、今、自分がさせてもらうことです。「いつか暇になったらお参りします」ではなく、いつも毎日、必要なものです。
「悠々として急げ」という言葉があります。余裕を持って準備を怠らず、慌てず焦らず、すべきことを後回しにせず迅速に行う。これは、「今月今日。今このときにおかげを頂く」という信心姿勢にも当てはまると思います。教主金光様が「今月今日 私が、信心させていただきます」とおっしゃる通りです。(令和7年11月号『健』参照)
もちろん、命に関わるお願いや、時間が迫っている問題があるときには、急いで神様に助けて下さいと願うこともあるけれども、普段、何でもない時にこそするのが信心の稽古です。
ただし、信心の稽古は時間がかかります。終わりもありません。その効能は、わかりにくい。後からじわーっとわかってきたり、あるときハッと気づかされるものです。そして、「ああ、そうだったのか」と合点するのです。「あんなに困っていたのに、知らないうちに平気になっていた」と、いつのまにか心配しないで生きている自分に気づきます。
一寸先は神のご領分
明年は、父、先代教会長の十年を迎えるので、出社の先生たちが父を偲ぶ文章を書いてくださっています。その中で半田の先生が「一寸先のことは神様のご領分、という(父の)教話が忘れがたい」と書いてくれました。改めてよい言葉だと思います。
今、多くの日本人は心配に囚われています。「あの頃はよかった。まさか、こんな日本になるとは予想だにしなかった」という声も聞く。「予想もしなかった」という言葉は悪い方に使うことが多いのですね。でも、私たちは、よい方に使います。どれほどに「予想もしなかったほどの」ありがたいおかげを蒙ってきたことか。「先のことを心配せずに神様にお任せしていれば大丈夫だ」と父が言っていた通りだなと思いました。
世界の情勢は不安。読めない時代だ、先が見えないと言いますが、それが人間なのです。未来を予知することはできません。そもそも「一寸先は神様のご領分」だから人間には分からないもの。それでいいのです。先が読めるというのは必ずしもよいことだとは限りませんし、先を読もうとすることは、神様の領分に踏み込むことになりますから戒めねばなりません。
「予知」に対して、「後知」という言葉を提唱した先輩の先生がおられます。「後から知る」と書いて「後知」。後知能力こそがこの信心をする者の秀でた能力です。
「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ」と教祖様が教えておられるように、予知能力よりも,後知能力を大切にするのが金光教の信心です。
取り越し苦労はするな
ご家族の病気を心配して、お結界でお届けになる方がたくさんおられます。心配なのは当然のことです。私も懸命に御祈念させて頂きます。また、「物忘れが多くなった。認知症かも。進んだらどうしよう」と心配される方も多い。
「杞憂」という言葉があります。中国の杞の国の人が、天が崩れて落ちてくるのではないかと心配して眠れなくなってしまったというのが語源です。心配しなくてもいいことを心配すること、取り越し苦労を杞憂と言います。
教祖様は、「明日塩辛を食べるからといって、今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。取り越し苦労をするな」と教えておられます。ある方のご主人が難しい病気になりました。命に関わることなので本当に心配です。特殊なお薬を処方された。しかし、副作用の心配もいくつかある。お医者は先回りして悪いことも含めとても詳しく説明されました。
私にも経験があります。家族の手術には同意書が要ります。妻のときには、「まだ新しい薬なので、将来どういう副作用が起こるか分かりませんが、危険な状態になったら使いますがよいですか?」と聞かれました。豚から作ったお薬だというので、豚のような毛が生えてきたらいやだなあなんて思ったり、ジブリアニメじゃあるまいし。でも、いのちには変えられないので同意しました。幸い使わずに済みましたが、あのように最悪の場合まで伝えるのが医者の役目だと痛感しました。
一休さんの虎
とんちの一休さんに、室町幕府の将軍さんが屏風の虎の絵が夜な夜な抜け出して暴れるので捕獲してくれまいかと無理難題をいいます。一休さんは、縄を用意して「捕まえますから、さあ虎を出して下さい」と。将軍さんは参った、というお話です。
私は長らく、とんち話だと思っていましたが、そもそも一休さんはお坊様なので、人間が助かるとはどういうことなのかを教えているのだと気づきました。それは「出てきていない虎を捕まえることは出来ない」ということです。出てきていない副作用。出てきていない認知症。心配は皆さんそれぞれに、いろいろとあることでしょう。問題はその問題が起こったときに解決すればよいということです。教祖様は、塩辛を食べたとき、つまり実際に問題が起こったときに水を飲みなさい、と教えておられるのです。
おかげのもとをたずねよ
私のかかりつけの医師は、二代にわたって何も言いません。悪いところを言ってくれる方が安心するらしく「頼りない」とか、「病気を見つけられないヤブ医者だ」という人もいました。でも、私は信頼しています。「虎が出るかも知れないよ」なんてむやみな先回りをしない医師だからです。
私は、心配をかきたてる医師よりも、心配をさせない医師の方が好きですが、今はそうはいかない。先回りして嫌なことでもちゃんと伝えねばいけない時代なのですね。
教祖様は、「みんな、病気の名や病気のもとは不思議によく知っておるが、おかげの受けられるもとを知らぬわい。病気のもとよりは、おかげのもとをたずねてみよ」とおっしゃるのですから、私は、出てこない虎を捕まえようと準備したり、苦心するよりも、おかげが出てくるもとを探す稽古をしましょう、と申しています。
先程のご信者さんは、心配を神様にお預けして、お礼を言う稽古をされて、看護に努められ、ご主人も経過よく元気になられるおかげを頂かれています。
神様も感激
父、先代教会長の、「一寸先のことは神様のご領分」という言葉の通り、私たちは、先のことは分かりません。神様がなさってくださることは、私たちの予想を遥かに超えるものです。
ところが、どうやら、神様にも予想外の嬉しいことがあるようです。神様が見いだされた教祖様は、神様の予想を超えるお働きをなさってくださいました。私たちは、ここをお手本にしたいものです。
四十二歳の大患で、教祖様ははじめて神様と出会われました。神様のお言葉が下がり、そのご体験を、後に『御覚書』というご手記に書き記した際にも、その感激を抑えることができないご様子でした。
「氏神をはじめ神々はみなここへ来ているぞ」というところまで筆を運んできて、当時を思い返した教祖様の胸に、にわかに込み上げるものがありました。そこで、そこに大きな○印を書いて、「ここまで書いてから、おのずと悲しゅうに相成り候(感極まった)」と書き記されました。
それに対して神様は、「金光大神よ、その方が感極まったのではない。神ほとけ、天地金乃神、歌人なら歌なりとも詠むのに、神ほとけには口もない。うれしいやら悲しいやら。人が助かり、神が助かることになり、どうしてこういうことができただろうかと思って、神仏も感極まった。また元の書き口を書き続けよ」と諭したのです。
「どうしてこういうことができたじゃろうか」神様も思いもしなかった。予想もしなかった。この○印は感激の○印なのでしょうね。
妻が、「神様も、『こんなにまでも教祖と呼吸が合うなんて期待以上だった』と、教祖様の御用にはびっくりなさったことでしょうね」と申しますので、私は、「それが、『神人の道』ということなのだろうね。神と人とが働き合ってこそ、予想以上の反応が起こって、おかげが生まれるのだろうね」と話しました。
教祖様をお手本にして、神様が教祖様にかけてくださったみ思いを分からせてもらう。そして、そのみ思いは私にも同じようにかけてくださっている。そのことに気づく。「ああ、そうだったのか」と後から気づかせてもらうのです。そうです、「後知」です。教祖様と神様のご関係をお手本にして、私と神様の関係・縦軸をしっかりさせるのが信心の稽古なのです。
(幅下教会 教会だより『健』新年号より転載)

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