「金光大神は、しんじんを神人と書く」と教祖様がおっしゃるように、神と人との働き合いによって神様のお力が顕れ、人が助けられるのがこのお道です。しかし、神様のお働きに比べて人間の力は知れたものです。「神様と人とはフィフティ・フィフティ(五分五分)ではありません」と、五代金光様がおっしゃっています。また、先代大先生・石黒信彦師も、岩運びのたとえで、そのフィフティ・フィフティを教えています。
大先生が幅下教会に差し向けられた頃は、まだ戦災の焼け石が境内のあちこちに点在しており、それを一箇所にまとめることになったそうです。先輩教師から「若先生がすることではない」と批判されましたが、誰かがやらねばなりません。そこで、安治郎さんというご信者さんが手伝ってくれて、二人で大きな岩を動かしたのですが、安治郎さんの力がほとんどで、非力な自分は手を添える程度に感じたそうです。
大先生は、その体験を後々「『神人あいよかけよ』というが、ほとんどが神様の力だ。人間はそれにちょっと力を足す程度のことだ。人の力はたかが知れている。それが神様と人との関係だと、あの岩運びで知った」と語っていました。
今、幅下教会では、初代先生ご夫妻の信心にならって、「心なおし 心みがき」に取り組んでいます。誰しも「自分を変えたい」「良い方向に心を向けたい」と願って努力しますが、思うようにいかないことの方が多いものです。だからこそ、「心なおしの尊い神様のお広前」に参って取次を受けて神様に心を整えていただくのです。その上で、自分も生活の中で心をみがいていく信心の稽古をしていくのです。
たかが知れているといっても自分の努力がゼロではだめです。ささやかであっても、自身の努力と神様のお働きの両方が相まっておかげが生まれてくるのだと、大先生の岩運びのたとえが教えてくれます。
私たちがどんなに大きな心配事を抱えていても、神様と人とが働き合えば、必ず心配は心配でなくなります。自分の力を過信して自分だけでやろうとせず、神様にしてもらうような心持ちになれば、どんな大きな岩のような心配も困難も必ず動くということです。
さて、五月十日には、天地金乃神大祭に併せて、大先生の十年祭をお仕えします。大先生の人生は「改まり」によって、さまざまな思いが変わらされていった道のりでした。自分を本来あるべき方向へと神様が導いてくださり、広やかな世界に連れ出してくださったことを振り返って、お世話になったすべてに御礼を申す信心を心がけておられました。
「ほんとうの幸せ」とは、自分にかけてくださっている神様の願いを知り、その願いが成就することです。その幸せを得るには、改まらねばならない課題が誰しもそれぞれに必ずあります。先代大先生の十年祭を迎えるにあたり、私たちも生涯かけて「心の完成」を目指していきたいと願うのです。

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