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秋季霊祭 教会長あいさつ(令和7年9月21日)

 皆様、よくお参りでした。先日、私に小学校の同窓会のハガキが届きました。何十年経っても忘れられないで知らせてもらえるのは嬉しいものだと思いました。
 今日のご霊祭のお便りも、生きている皆様にだけでなく、霊様にも送ったら、霊様はきっと喜ばれるだろうなあと思いました。子孫が途絶えた霊様もおられますから、「あなたのことは忘れていませんよ」「あなたのお祭りをお仕えしますよ」と、霊神様お一人ひとりに声をかけ、お名前を呼んで差しあげたいと思いました。

 さて、この夏は記録的な猛暑や豪雨、竜巻など、人間の力ではいかんともしがたい天候が続きました。世界情勢や国内の政治状況、われわれの生活においても穏やかならざるニュースばかりです。こういう落ち着かない状況の中だからこそ、ジタバタせずにじっくりと目に見えない大切なお働きに目を向けさせてもらおうと私は思いました。そして、霊神簿と霊爾と古い資料に改めて向き合おうと心に決めました。めざしたのは、このたびの秋季霊祭で、1600余柱すべての霊様のお名前をお唱えすることでした。
 霊祭での霊のお呼び出しは、祭典中の限られた時間では「○○氏諸々の霊神」といったように、各家の代表のお名前しか呼ぶことができません。そこで、9月17日、18日、19日の夕刻に、一柱一柱、霊神名をお唱えしました。ご神殿で霊の道立てをお願いさせてもらいました。その上で、祭典中にも従来どおりに称霊をさせてもらいました。

 幅下教会では、昭和50年代から生命祭をお仕えしております。誕生日を迎える方、お一人おひとりが、神様からいのちを頂いている御礼をするのです。
 また、その月に命日を迎える信徒の霊神祭も執り行っています。ご命日は霊神としての誕生日のような日であります。生きても死にても、生き続ける「いのち」です。
 ですから、姿がある者のいのちを祀る生命祭と、姿が見えない者のいのちを祀る霊神祭を、「いのちのお祭り日」としてお仕えしているのです。
 毎月の信徒霊神祭でお呼びする霊神様は一年間で400柱ほど。多い月で50柱ほど、少ない月は20~30柱ほどです。ところが、実際にはこの幅下のご霊殿には、1600余の霊神様が祀られています。ですから、毎月の霊神祭では呼ばれない霊様もおられるのです。私は、このことがずっと気がかりでした。
 信心がつながり、霊神祭にお参りされて玉串を捧げる子孫がいればよいのですが、信心が続いていない家の霊は、私が大切にせねば誰からも名前を呼んでもらえないことになります。また、近年は家ごとのお呼び出しでは実情にそぐわなくなってきました。例えば、娘さんが嫁げば姓が変わり、○○家という姓を継ぐ人がいなくなる場合があります。信心は続いているのに、名字が呼ばれないのは淋しいものです。
 また、いろいろな事情で、金光教に改式(先祖代々の霊様をすべて教会の霊殿にお遷しすること)が出来ない家であっても、「私ひとりだけ金光教でお祀りしてほしい」と願うご信者さんもあり、個人霊として、お祀りする場合もあります。
 そのように、家単位では納まらなくなっている時代です。

 私は学生時代にある有名な俳優さんに大変にお世話になりました。
 その近くの占い師が評判で、ある日、その俳優さんのお姉さんが、「石黒さん、占ってもらってきなさいな。ちゃんと結果は報告してよ」と三千円を握らせてくれました。占ってもらいますと、まず、「あなたの周りにいっぱい人が見える、こういう人は珍しい」と言う。たぶん守護霊ということでしょう。いつも霊様たちと生活している私にとっては当たり前のことですけれど、それを珍しいといってくれたのです。
 私は、何か特殊な技術や秀でた能力を持っているわけではありません。徳者でもありません。ただ、ここで68年間も生きていますから、ご信者さんのことは誰よりもよく知っています。また、霊様も私のことを見ていて下さり、周りにいてくださいます。それが私の取り柄ならば、その霊様を大切にすることが、私にできることだと思うのです。

 3日間にわたる霊のお呼び出しを、「自分も知らない何代も前の先祖を呼んでくださり、ありがとうございました」とご信者さんは喜んでくださいました。霊様も同じように喜んで下さっていると実感しています。この世で、その方の名前を知っており、祈っている人間がいることが、必ず霊を生かしていきます。

 このたび、霊に関わる古い資料に向き合った中で気づかされたことは、この信心に出会うまでにたくさんの方を亡くしておられる方が多いことでした。難儀な死に方をされている方も多く、とりわけ、幼い子供さんや、生まれて間もなく亡くなった名前の無い霊様が本当にたくさんおられました。そういう悲しみを経験した方々が、この道の信心に出会い、助かる道筋を教えてもらい、天地のおかげを知りました。
 そこで、金光教に改式をして、亡くなられたご家族や先祖の霊様をお祀りしてもらい、これまで天地のおかげを知らずに生きてきたことを先祖に代わって真剣におわびし、家の守りの神様となれるようにと、お願いをしてもらったのです。それで、幸せになることができ、不幸の内に亡くなった霊様も立ち行くことが出来たのです。そういう物語が、資料の中から、ありありと立ち上がって参りました。

 教祖様は、「生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである。生きても死んでも天地のお世話になることを悟れ」と教えておられます。生きてる間も神徳の中に生かされている私たちは、死んでも神徳の中に恵まれて、安全に、安心にこの世においていただくことができる。神様のお恵みがなかったら、霊としても一分たりともおられないのです。生きても死んでも、神様のおかげを受けねば立ち行かない私たちなのです。
 このお広前で「御霊の道立て」を蒙って行かれれば、霊は幸せであり、皆様も立ち行くことができます。
 どうか、子孫に続く信心をしてください。そして、神様を放さず、信心から遠ざかることがないようにと願っています。

(令和7年9月21日 秋季霊祭 教会長あいさつ)

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