天地金乃神大祭をお迎えして―風薫る一筋の道― 教会長 石黒眞樹

 風薫る五月、一年の中でもとりわけ心華やぐ季節です。新緑の芽吹きに目を見張り、その瑞々しく力強いいのちの姿に天地金乃神様のみ恵みを感じ取ります。天地の中で日に日に新しいいのちを賜り、生かされて生きているわが身であることに、改めてお礼を申し上げずにはおられません。私たちは、このありがたさを、いかにお讃えし、どのようにお礼を申したらよいのでしょうか。

 今から四十五年前、布教八十年記念祭をお仕えしたときのことです。四代金光様に思し召しを賜りたく、大先生はお取次を願いました。すると「一筋の道 起伏あり 風薫る」とのご染筆をお示しくださいました。記念祭では、その短冊を参拝者の皆様の直会にさせていただいたのでした。
 それ以来、幅下教会では、その「一筋の道 起伏あり 風薫る」の思し召しを大切に頂き、とりわけ五月の天地金乃神大祭では、常にその御旨を体して参りたいと願ってきたのです。
 私たちの人生には様々な困難があります。しかし、どのような起伏があろうとも、神様はいつもご覧くださり、「助かってくれよ」とのみ思いをかけてくださっています。その眼差しに気づき、そのみ思いを分からせていただけた時、私たちの目の前には広く明るい景色が開けるのです。後ろを振り返れば、ここまで神様に手を引かれて、たどってきた一筋の道が続いています。越えてきた起伏を見晴るかすと、美しい緑の山坂が輝いています。このような風薫る景色を、神様が見せてくださることを楽しみに信心して参ったのです。

 さて、このたび五代教会長石黒信彦大先生の十年祭にあたり、大先生を偲ぶ本を編ませていただきました。当初、私は教話を数本掲載すればよいかと安易に考えていたのでしたが、あるご信者さんから次のようなご意見がありました。
 「私たち幅下教会の信奉者は、『初代二代の御事ども』と『まつよ師』というご本があるおかげで、今でも歴代の先生に触れることができます。それによって幅下の信心の根源をたどらせていただけるのです。
だから、あのような形式の本にして残していただきたいのです。」
 そのご信者さんは、大先生の教話のテープ起こしの御用をされた中で、部分的でなく、大先生のご生涯の物語を分からせていただきたいとの願いを持たれたのです。それは私には、とてもハードルが高そうでしたが、その意見を重んじて編集にあたることになりました。大先生の歩んだ起伏ある道と、風薫る人生の景色を綴りたいと努めました。

 「よすが」という言葉があります。「手がかり」という意味です。この本が、後々の人の「信心の手がかり」になるようなものになればと願います。
 また、「よすが」には「生きていく上での拠り所」という意味があります。いつの日にか、この本が、どなたかの「拠り所」となればありがたいことです。

 天地金乃神様が私たちをご覧くださっている眼差しは、私たち人間の時間感覚では計れません。すでに先に、気が遠くなるほど以前から、途方もない時間をかけて、さらには、あの手この手を使って段取りを組んで待ってくださっているのです。そのような神様の、気の遠くなるほどの長さと果てしない大きさをもって、一人ひとりにかけてくださるみ思いを分からせていただき、神様の御手につながることが「神人の道」です。何十年先にでも、代を重ねた先にでも、「ああ、そうだったのか」と気づく「よすが」を残せたのならば、神様も大先生もお喜びくださることでしょう。

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